講座・イベント

2018/10/18
後期キリスト教講座 「シェイクスピアと聖書の言葉」 講師 井出 新

10月4日(木)

第1回  ラザロの眠りから『ハムレット』を考える

井出先生の、シェイクスピアの時代の人々の死生観から『ハムレット』を読み解くという新鮮な視点のお話に出席者はぐいぐいと引き込まれてしまいました。

ヘンリー8世によるイギリスの宗教改革から60〜70年後、エリザベス一世の治世下、イギリス国教会は、教義はカルヴィニズム、儀式はカトリックの中道政策をとりました。長く信じられていた煉獄の存在は、プロテスタントでは否定され、祈祷書からは死者のための祈りがなくなり、親類縁者のとりなしにより煉獄にいる死者が地獄へ行かずに救われる可能性が否定された訳です。現世から地獄を遠ざけ、死者と生きている者を繋いでいた煉獄が無くなり、現世と死後世界の間のあり方がこの時代急激に変わったのです。

死は眠りであるというキリスト教のエッセンスを出発点に、最後に、先生がご覧になった素晴らしい『ハムレット』、ベルイマンの演出による東京グローブ座で上演されたスウェーデン語による『ハムレット』の話で第1回講座は終わりました。

10月18日(木)

第2回  『リア王』からペテロの晩年を考える

グローバル化していく現代の社会で、経済最優先の世の中で、生産性とか経済効率が無意識に人間存在の価値基準になってしまうことがあります。その基準では、身体的弱さゆえに働けなくなると、社会に貢献できなくなると、人は全く必要とされない存在になってしまいます。神不在の世界で老年を生きるリア王が教えてくれるのはそのことです。コーディリアをイエスに、リア王を放蕩息子に重ねた寓意と読み解きつつも、神不在の『リア王』の世界では、救いと見えたコーディリアでさえも殺され、絶望と不条理以外には何もありません。

しかし聖書は(さらに『リア王』もある意味で)、そういう世界のあり方に疑問を投げかけます。人間とは本来、「哀れな二本足の動物」のように、或いはパスカルの有名な例えを借りれば、植物の「葦の茎のように」、弱い存在なのであり、弱い人間だからこそ、その弱さをおおう神なくしては、動物や植物と変わらない存在になり下がってしまうのだ、と。神こそ、救いと赦しの大きなご計画の中で、この弱さと恥辱そのものに、神の栄光を認めてくださるのであり、唯一そういう神こそが、人間に存在価値を、弱き者に栄光を与えることができる方なのだ、と井出先生は結ばれました。

体力も知力も弱り自身では何も出来ない老人だけではなく、弱者には生きる価値があるのか、人間とは何かを考える第2回講座でした。

講座・イベント名 2018/10/18
後期キリスト教講座 「シェイクスピアと聖書の言葉」 講師 井出 新

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